稲荷神社の総本山・京都伏見稲荷大社。

 

参拝客が多いことでも知られていますが、その歴史、年表を知る人は少ないのではないでしょうか。

 

この記事では、伏見稲荷大社の歴史や年表についてまとめています。

 

空海、豊臣秀吉との関係、応仁の乱など、知りたい情報をぜひチェックしてください。

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伏見稲荷大社の歴史的背景を簡単に分かりやすく解説!

伏見稲荷大社の歴史は長く、日本書紀では欽明天皇が即位したころからの歴史がつづられています。

 

しかしすべての出来事が判明しているわけではありません。

 

ですので、比較的分かりやすい時代から解説します。

 

応仁の乱でほとんどの建物が焼失した伏見一帯を修復したのは、戦乱の世を治めた豊臣秀吉でした。

 

天下統一を成し遂げた秀吉は、古城山に大城郭の建築を開始しますが、その傍ら、伏見の町の修復にも力を注ぎました。

稲荷大神に深い崇敬を寄せる秀吉は、権力の象徴とも言われた聚楽第を建築する際、その邸内に稲荷社を勧請するほど。

 

生母・大政所が大病をした際も、稲荷社に平癒を祈願し、大願成就ならば一万石を寄進すると申し出たことは有名な逸話です。

 

大政所が回復した後、秀吉は約束した通り、稲荷社の本格的な修復を行いました。

 

現存する楼門は、その折に建立されたものです。

 

江戸時代に入ると、稲荷社を信仰する108代・後水尾天皇が御所の建物の一部を目代荷田延次に下賜します。

 

その建物が重要文化財、非公開のお茶屋です。

 

このようにその時代の覇者や朝廷の信仰を受けることで、伏見稲荷大社は多くの人々に知られることとなり、信仰されることとなりました。

 

伏見稲荷大社の歴史年表をまとめてみた

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伏見稲荷大社の歴史は古く、創建されたのは711年2月7日。

 

伊侶巨秦公が勅命を受け、伊奈利山(稲荷山)の三つの山頂に、それぞれの神様を祀ったことが始まりだとされています。

 

この後の歴史は分かりやすいよう年表順に説明します。

 

816年の歴史

社殿の建設が開始されます。

 

823年の歴史

その当時のスター的存在であった空海が五重塔の建設を思いつきます。

 

建設するには木材が必要ですが、稲荷山周辺の木々を切り出したことで、稲荷神が空海に対し、怒りを示したそう。

 

その怒りを鎮めるために空海が決断したことは、自身の寺・東寺の守護神とすることでした。

 

このことを機に、その後、お寺を建設する際には稲荷神の分霊が祀られることとなります。

 

また、空海が、稲荷社に鎮座する稲荷大神を、自身の宗派・真言宗の守護神と定めたことで稲荷大社の名が全国に広がり、その名が知られることとなりました。

 

827年の歴史

病に伏した淳和天皇の側近がその病の原因を占わせたところ、東寺の塔の建設のために稲荷山の木を切り出した祟りであったことが判明。

 

天皇の病気平癒を願い、稲荷社に従五位下の神階が下賜されることが決定します。

 

この時までは、伊奈利という字が使われていましたが、正月辛巳の詔にて、稲荷の表記が用いられたことを機に、稲荷社と表記されるようになったとのことです。

 

まとめ

・伏見稲荷大社の歴史的背景には、豊臣秀吉、後水尾天皇の信仰が関係している。

 

・伏見稲荷大社の創建は、711年に伊奈利山(稲荷山)に神様を祀ったことがきっかけとされている。

 

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます!

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