伏見稲荷大社は日本国内外問わず、多数の参拝客が訪れる神社として知られています。

 

まさに知らない人がいないぐらい有名な神社ですが、あなたは伏見稲荷大社の歴史をご存知でしょうか?

 

調べてみるとこの神社にはかなり古い歴史があることが分かりました。

 

この記事では『伏見稲荷大社の歴史を時代別に解説・有名見所の歴史など』について簡単に分かりやすくお話しています。

 

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伏見稲荷大社の歴史的背景を年表形式で簡単に分かりやすく解説

伏見稲荷大社は非常に長い歴史を持つ神社です。

 

現在判明している範囲の歴史を、平安時代~令和時代まで時代ごとに分けて解説していきます。

 

平安時代

 

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平安時代は794年~1185年までを指します。

 

この項目では816年~1072年までの歴史を解説していきます。

 

816年(弘仁7年)

社殿が建築される。一説によるとこの年に空海が、稲荷大神を稲荷山から現在の地にお祀りしたといわれている。

 

827年(天長4年)

空海が嵯峨天皇から教王護国寺をいただいた。

 

この時に伏見稲荷大社が教王護国寺の守護社となったことで、稲荷大神に従五位下の神階が与えられた。

 

神階とは

朝廷から神社の祭神に奉った位階品位(ほんい)と位階と勲等とがあり、品位は四品(しほん)以上四階、位階は正六位上以上の一五階、勲等は一二等があった。神位

出典:デジタル大辞泉

 

843年(承和10年)

稲荷大神が従五位上になる。

 

844年(承和11年)

稲荷大神が従四位下になる。

 

852年(仁寿2年)

山城の三社(上賀茂神社・下鴨神社・松尾大社)の一つとして数えられた。

 

朝廷が伏見稲荷大社を厚く信仰するようになる。

 

908年(延喜8年)

藤原時平が稲荷社を三箇社造営した。

 

927年(延長5年)

 

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延喜式神名帳に「山城国紀伊郡稲荷神社三座、名神大社」と記載される。

 

940年(天慶3年)

従一位という2番目に高い位が与えられる。

 

942年(天慶5年)

正一位という最も高い位が与えられる。

 

963年(応和3年)

たつみ(東南の方角)を守護する神社になる。

 

1000年(長保2年)

清少納言が書いた『枕草子』に「二月初午の日、稲荷山に詣で、中社の辺にて甚だ苦しきを堪え登ること」と記載される。

 

1039年(長歴3年)

二十二社の上七社に定められる。

 

二二社とは

平安時代以降、朝廷が神様に幣帛(お供え物の総称)を奉献していた22の神社のこと

朝廷から特別視されていた神社と考えることができる。

 

上七社とは

神社の格式の順番。上七社に定められた神社が最も格式の高い神社。

上七社⇒中七社⇒下八社の順番で格式が高い。

 

1072年(延久4年)

後三条天皇が初めて行幸した。

 

鎌倉時代には源頼朝が武運を祈願し、室町時代には足利尊氏が武運を祈願した。

 

行幸とは

天皇が出かけること。

 

建武新政

 

建武新政は1333年~1336年までを指します。

 

建武の新政とは1333年に鎌倉幕府を滅ぼし、1336年に足利尊氏に敗北するまで、後醍醐天皇が政治を行った期間のことです。

 

この項目では1334年の歴史を解説していきます。

 

1334年(建武元年)9月

社領加賀国針道荘が安堵する

 

安堵とは

鎌倉時代以降,主君が家人に対して土地所有権領有権,知行権を与えることを充行 (あてがい) といい,すでにあてがわれたり,買得されたこれらの権利を確認または承認することを「安する」といった。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

 

室町時代

 

室町時代は1336年~1573年までを指します。

 

この項目では1336年~1499年までの歴史を解説していきます。

 

1336年(延元元年)

後醍醐天皇が稲荷社の前で「むば玉の くらきやみちにまよふ也 我にかさなん みつのともし火」という和歌一首を詠む。

 

1438年(永享10年)

後花園天皇の勅命により、足利義教が稲荷山山頂にあった稲荷大神の祠を山の麓に移した。

 

なお、この伝説は藤森神社に伝わっているものである。

 

1467年(応仁元年)

応仁の乱が起こる

 

1468年(応仁2年)

骨皮道賢が稲荷山を陣地にしたことにより、山名持豊・畠山義就・斯波義廉・大内政弘等の軍が稲荷山へ向かう。

 

これにより稲荷社の山上、麓の社殿や堂塔が焼け落ちてしまう。

 

1499年(明応8年)

応仁の乱によって焼け落ちた社殿(現在の本殿)が再建する。

 

安土桃山時代

室町時代は1573年~1600年までを指します。

 

この項目では1589年~1594年までの歴史を解説していきます。

 

1589年(天正17年)

豊臣秀吉の寄進によって楼門が造営される。

 

秀吉は伏見稲荷大社へ厚い信仰心を抱いており、106石と社殿の修理費用も寄進したといわれている。

 

1594年(文禄3年)

伏見稲荷大社の境内に鎮座していた「地蔵院」というお寺の僧「覚圓」が「伏見稲荷本願所」を造設した。

 

この本願所は応仁の乱により焼失した、本殿の寄付募集のために設けられた。

 

江戸時代

 

江戸時代は1603年~1867年までを指します。

 

この項目では1633年・1694年の歴史を解説していきます。

 

1633年(寛永10年)

 

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4月21日に伏見稲荷本願所の3代目住職に就任した日雄により、本願所の名称が「愛染寺」に変更される。

 

また全国に稲荷信仰が広まったのは日雄によるものである。

 

1694年(元禄7年)

社殿の修復が完了する。

 

明治時代

 

明治時代は1868年~1912年までを指します。

 

この項目では1868年~1909年までの歴史を解説していきます。

 

1868年(明治元年)

愛染寺が神仏分離令によって廃絶した。

 

このとき廃仏毀釈運動が起こったため、愛染寺にあった仏像や仏殿は「御寺泉涌寺 別院 雲龍院」に移動している。

 

神仏分離令とは

1868年(明治1)3月、明治政府によって出された、古代以来の神仏習合を禁じた命令。

出典:大辞林 第三版

 

廃仏毀釈とは

明治政府の神道国教化政策に基づいて起こった仏教の排斥運動。明治元年(1868)神仏分離令発布とともに、仏堂・仏像・仏具・経巻などに対する破壊が各地で行われた。

出典:デジタル大辞泉

 

1871年(明治4年)5月

官幣大社に定められる。

 

官幣大社とは

社格の一。官幣社のうちで最も格式が高いもの。出雲大社宇佐神宮などが該当した。

出典:デジタル大辞泉

 

1909年(明治42年)

国宝保存法によって伏見稲荷大社の本殿が国宝に指定される。

 

現在は重要文化財に登録されている。

 

昭和時代

 

昭和時代は1926年~1989年までを指します。

 

この項目では1946年・1961年の歴史を解説していきます。

 

1946年(昭和21年)

伏見稲荷大社が「宗教法人・伏見稲荷大社」に名称を変更する。

 

現在の伏見稲荷大社は神社庁に所属していないため、単立社として独立した神社である。

 

1961年(昭和36年)

伏見稲荷大社が当地に鎮座して1250年が経過する。

 

それに伴い1250年奉祝大祭が行われる。

 

平成時代

 

平成時代は1989年~2019年4月30日までを指します。

 

この項目では1999年・2011年の歴史を解説していきます。

 

1999年(平成11年)

本殿が造営されてから500年が経過する。

 

それに伴い500年記念大祭が行われる。

 

2011年(平成23年)

伏見稲荷大社が当地に鎮座して1300年が経過する。

 

それに伴い1300年奉祝大祭が行われる。

 

令和時代

 

令和時代は2019年5月1日以降の時代を指します。

 

この項目では2019年5月の歴史を解説していきます。

 

2019年5月

新元号発表に伴い令和元年特別御朱印が頒布される。

 

特別御朱印には「奉祝改元」と書かれており、しるしの杉の絵も描かれている。

 

伏見稲荷大社が創建された理由や名前の由来

 

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伏見稲荷大社は711年(和銅4年)2月に秦伊侶巨はたのいろぐという人物が、稲荷山に稲荷大神をお祀りしたのが始まりとされています。

 

創建の詳しい理由については『山城国風土記』にある「逸文・伊奈利の社条」という項目に書かれているので、簡単に紹介していきますね。

 

伏見稲荷大社の創建理由

秦伊呂具が矢を射るための的を探していました。

 

すると突然餅を的にすることを思いつきます。

 

早速、秦伊呂具は餅を投げて矢を射ったのですが、驚くべきことにその餅が白鳥に変化して山のほうへ飛んで行ったのです。

 

その白鳥が山に降りて留まったところ、不思議なことに留まった場所に稲が生えてきました。

 

このように不思議なことが起こったため、秦伊呂具はその場所に祠を建てて祀りました。

 

この祠が伏見稲荷大社の前身と伝わっているのです。

 

社名にも使われている”イナリ”という名前は、このとき白鳥が留まった場所に生えてきた稲が由来とされています。

 

そして「イネナリ(稲生り)」という言葉が「イナリ」に転じたことにより、「稲荷」という漢字を当てたと考えられています。

 

 イナリを漢字で書くと”稲荷”となり稲という文字が入っているので、個人的には稲が由来になっているのは間違いないと思っています(笑) 

 

ちなみに稲荷大神が降臨した場所は

  1. 稲荷山
  2. 紀州田辺の王子

の2つの説が考えられています。

 

持明院というお寺が高野山大学図書館に寄託した『稲荷記』という本によると、「稲荷大神が最初に降臨した場所は”紀州田辺の王子”とし、そこで弘法大師・空海と対面した」という記述があるのです。

 

しかし残念ながら、紀州田辺の王子が現在のどの地に当てはまるのかは判明していません。

 

なのですが紀州田辺市に、この伝承が伝わっている「高山寺」というお寺があります。

 

 

このお寺には『弘法大師 稲荷明神 値遇之霊蹟』と刻まれた石碑があり、お寺が鎮座する住所の地名には”稲荷”の漢字が入っています。

 

ちなみにこの石碑に刻まれた言葉には次の意味があるようです。

 

『弘法大師・空海と稲荷明神が最初に巡りあって縁を結んだのが当地であり、その石碑はその証を示したものである。』

出典:伏見稲荷御朱印

 

 さすがに稲荷大神が実際に降臨することはなかったと思いますが、これだけ共通点が見られるため、稲荷大神(稲荷社)と空海には何らかの関係があるのではないか?と私は考えています。 

 

伏見稲荷大社を創建したとされる人物

伏見稲荷大社を創建したとされる人物にはいくつかの候補があり、先程紹介した秦伊呂具はあくまでも候補の一人です。

 

秦伊呂具を含む人物については以下の3人が挙げられます。

 

  1. 秦伊呂具
  2. 淳和天皇
  3. 空海

 

それでは次の項目から、これらの人物と伏見稲荷大社の創建との関係について見ていきましょう!

 

秦伊呂具によって創建された説

伏見稲荷大社の社伝によると、711年(和銅4年)2月の初午の日に秦伊呂具によって稲荷大神が鎮座したとあります。

 

次の項目でも解説しているように創建年には様々な説があるのですが、伏見稲荷大社では711年に創建されたと考えているようですね。

 

淳和天皇の勅命で創建された説

 

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伏見稲荷大社の歴史はかなり古いですが、書物にその名前が登場したのは平安時代です。

 

平安時代に編纂された『類聚国史』という書物に、伏見稲荷大社の名前が記載されています。

 

『類聚国史』には次の一文が記載されているといいます。

 

827年、淳和天皇(じゅんなてんのう)が病のため床に伏せる。病に陥ったのは東寺の五重塔を建てるために稲荷山の木々を伐採したからである

出典:伏見稲荷御朱印

 

そこで淳和天皇は回復を願うために、稲荷社に「従五位」の位を与えて稲荷山に祠をお祀りしたといわれています。

 

そのため伏見稲荷大社は平安時代の827年(天長4年)には、創建されていたと考える人もいるようです。

 

空海によって創建された説

空海は823年に嵯峨天皇によって東寺を与えられ、そこを真言密教の道場とするために境内の再建することにしました。

 

もちろん再建するには木材が必須なので、その木材は稲荷山で採取することにしたのです。

 

そして空海は稲荷山に入山し、祠をお祀りして7日間の祈祷を始めます。

 

実は空海は祈祷開始前にとある仙人と出会っていました。

 

その仙人が稲荷大神だと知っており、空海は彼を招いてお祀りしていたのです。

 

つまり祠には稲荷大神がお祭りされているので、これを伏見稲荷大社の起源と考えられる…という説です。

 

伏見稲荷大社で有名な見所の歴史

今までは伏見稲荷大社の歴史を解説していました。

 

しかしこの神社にはおもかる石や千本鳥居など、たくさんの見所がありますよね!

 

そこでここからは境内にある見所スポットの歴史について紹介していきます。

 

楼門

楼門は今から430年前の1589年(天正17年)に、あの有名な豊臣秀吉が造営したと考えられてきました。

 

その理由は秀吉の母親である大政所おおまんどころ殿が関係しています。

 

伏見稲荷大社には、秀吉の母が記した「病気平癒が叶えば1万石奉納する」という、”命乞いの願文”が伝わっているからです。

 

しかし長らく造営の伝承と願文との一貫性について疑問がありました。

 

しかし昭和48年に楼門の修理を行ったことで、墨で書かれた「天正17年」の文字が見つかりました。

 

それに伴い伝承が正確なことが明確になったのです。

 

本殿

伏見稲荷大社の時代別の歴史の項目でも解説したように、応仁の乱の戦火で一度焼失しています。

 

このときは境内にあった堂塔が全部焼け落ちてしまいました。

 

それから数十年後にやっと復興したので、現在の本殿は再建後のものになります。

 

伏見稲荷大社の本殿は大型の社殿建築で、華やかな数々の装飾が施されていることが分かります。

 

ちなみに本殿は国の重要文化財に指定されています。

 

非公開のお茶屋

このお茶屋は17世紀に建設された建物です。

 

また、建築様式が書院造りから数寄屋造りへと変化していく最中に建てられました。

 

そのため室内が数寄屋造りと書院造りになっている、非常に珍しい室内構造の建物です。

 

こちらも本殿と同じく重要文化財に指定されているのですが、通常は非公開なので見ることはできません。

 

千本鳥居

 

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伏見稲荷大社といえば千本鳥居です。

 

恐らく日本人で千本鳥居を知らない人はいないのではないでしょうか?

 

実はこれだけたくさんある鳥居は、すべて全国の崇敬者によって奉納されているのです。

 

鳥居を奉納する理由は祈願成就のお礼の意味があり、この習慣は江戸時代にはすでにあったといわれています。

 

しかし現在は多少意味合いが変わっており、それには以下の理由があるそうです。

 

鳥居を奉納する理由
祈願成就のために奉納
何かの記念日に奉納
会社や事業の立ち上げ記念に奉納

 

これらの理由あくまでも一部ですが、江戸時代とはだいぶ奉納の意図が変わっていますね。

 

ちなみに最もサイズが小さいものでも20万円前後、最もサイズが大きいもので100万円前後と金額が決まっているようです。

 

一般人にはなかなか払えない金額ですが、もちろん一般の人からも奉納を受け付けています。

 

奥社奉拝所

奥社奉拝所は千本鳥居をくぐった先に鎮座しています。

 

正式名称は「奥社奉拝所」ですが、通称の「奥院」と呼ぶほうが馴染み深いかもしれません。

 

この奉拝所は稲荷山を遥拝するために設けられたお社です。

 

そのため奥社奉拝所のすぐ後ろに稲荷山があります。

 

伏見稲荷大社に伝わる1499年の書物に記述があることから、創建時代はかなり古いと推測可能です。

 

おもかる石

おもかる石もたくさんの観光客に人気がある見所です。

 

しかし残念なことに、おもかる石の詳しい歴史は判明していません。

 

歴史は分かっていませんが由来は石占の一種だと考えられています。

 

石占は現在のおもかる石のように、特定の石を持ち上げた時に感じる重さで判断する占い方法でした。

 

熊鷹社

この神社はすぐ横に新池という池があることが特徴です。

 

熊鷹社には不思議な言い伝えが伝わっています。

 

それは新池に向かって柏手を打って、こだまがあった方向に行方不明者の痕跡がある…という内容です。

 

一ノ峰

このお社は稲荷山の山頂に鎮座しているため、なんと標高が233メートルの場所にあります。

 

高い場所にありますが、ここの神様は末広大神と呼ばれ人々から崇敬を集めているようです。

 

また一ノ峰までの参道はまあまあ険しいため、歩きやすい靴で参拝するなど、くれぐれも油断しないようにしてくださいね!

 

二ノ峰

 

 

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二ノ峰の神様は青木大神として崇敬されています。

 

このお社は社殿や中社神蹟と呼ばれている祠の跡が見られるのも特徴的です。

 

間ノ峰

こちらのお社の神様は伊勢大神として信仰されています。

 

もちろん間ノ峰にも鳥居が設置されていますが、形状が非常に珍しいのが特徴です。

 

この石鳥居は社名を刻む額束の両側が合掌しているような形になっています。

 

三ノ峰

三ノ峰は間ノ峰の下に鎮座しているため、稲荷山の三社で最も地上に近いお社です。

 

こちらの神様は白菊大神と呼ばれて崇敬されています。

 

ちなみに明治時代に社殿を改装したときに、「変形神獣鏡」と呼ばれる古代の遺物が発見されました。

 

その後鏡は京都国立博物館に寄贈されたようです。

 

御劔社

この神社は一ノ峰をさらに超える場所に鎮座しています。

 

御劔社も他の三社と同じようにかなり古い歴史がある神社です。

 

昔は神様をお祀りする神聖な祠があったそうですが、現在は神蹟として残されています。

 

それと、その神蹟の横には焼刃の水という井戸があります。

 

御膳谷奉拝所

稲荷山の3つのお社の後ろ(北側)に鎮座しているのが御膳谷奉拝所です。

 

昔は3つのお社にお供え物を供える場所としてその役割を担っていたようです。

 

また現在でも毎年1月5日に行われる、大山祭山上の儀はここで行っているため、現在でも大切な場所であることが分かります。

 

清瀧

清瀧は御膳谷奉拝所の200メートル下を流れている滝のことです。

 

稲荷山には他にも瀧がいくつかあるのですが、この清瀧が最も水量が多い瀧として知られています。

 

荒神峰

荒神峰は権太夫大神として崇められています。

 

神蹟の後ろからは京都市中心部付近が一望できる絶景スポットです。

 

最近流行りのインスタ映えにも最適かもしれませんね!

 

御幸奉拝所

奉拝所と聞くとかなり古い歴史があるように思いますね。

 

しかしこの御幸奉拝所は比較的最近建てられた奉拝所で、創建時代は今からたった56年前の1963年です。

 

また奉拝所周辺は平安時代より「御幸辺」と呼ばれていたため、御幸奉拝所という社名になりました。

 

啼鳥菴

こちらはお社や奉拝所ではなく休憩所です。

 

場所は八島ヶ池のほとりにあります。

 

ちなみに「啼鳥菴」という名前には次のような思いが込められているとのことです。

 

「池のほとりに鳥が集まり、神と人と自然が共生する場所になるように」

出典:伏見稲荷大社公式サイト

 

伏見稲荷大社に祀られている神様(御祭神)

伏見稲荷大社自体は日本でも海外でも有名ですが、あなたは神社の神様についてはご存知でしょうか?

 

伏見稲荷大社には以下の5人の神様がお祀りされています。

 

  1. 宇迦之御魂
  2. 猿田彦神
  3. 大宮能売大神
  4. 田中大神
  5. 四大神

 

それでは次の項目でこの5人の神様について見ていきましょう。

 

宇迦之御魂(下社)

 

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宇迦之御魂神は本殿の下社(中央)にお祀りされています。

 

この神様は日本神話における「ヤマタノオロチ退治」で有名なスサノオノミコトの子供です。

 

宇迦之御魂神のように食べ物を司る神様のことを「御食津神みけつかみ」といいます。

 

そして狐は「ケツ」と鳴くため、稲荷神社は狐と関係があると考えられています。

 

猿田彦神(中社)

猿田彦神は中社(中央の左隣り)にお祀りされています。

 

猿田彦神は天照大御神の孫である、ニニギノミコトの道案内を務めた神様です。

 

の神様は身長が2メートルを超えており目はホオズキのように赤く、さらに鼻が長いため天狗のモデルになったと言われています。

 

大宮能売大神(上社)

大宮能売大神は上社(中央の右隣り)にお祀りされています。

 

この神様は『古語拾遺』という書物に登場する神様で、「天の岩戸神話」で活躍した天太玉命の娘です。

 

大宮能売大神は宮中(宮殿の中・神社の境内)の平安を守る神様と考えられています。

 

田中大神(下社摂社)

田中大神は下社摂社(左端)にお祀りされています。

 

しかしこちらの神様は一体どのような神様なのか、何を司る神様なのか判明していません。

 

 名前から考察すると個人的には、田んぼ(五穀豊穣・農業守護)の神様ではないかと考えています。 

 

四大神(中社摂社)

四大神は中社摂社(右端)にお祀りされています。

 

田中大神と同じく四大神もどのような神様か分かっていません。

 

 名前の意味から考察することも難しいので、ある意味田中大神よりも謎が多いですね(笑) 

 

まとめ

・伏見稲荷大社は奈良時代~令和時代まで、1300年以上の歴史を持つ由緒正しい神社である。

 

・伏見稲荷大社ではたくさんの見所があるが、どれも長い歴史を有していることが分かる。

 

・伏見稲荷大社では次の5人の神様がお祀りされている。

  1. 宇迦之御魂
  2. 猿田彦神
  3. 大宮能売大神
  4. 田中大神
  5. 四大神

 

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます!

 

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