あなたは「日光東照宮歴史簡単、簡潔に詳しく学びたい」と思っていませんか?

日光東照宮は世界遺産にも登録されています。まさに日本が世界に誇れる神社の一つです。

この記事では『日光東照宮の歴史を簡単に分かりやすく解説』しています。

難しい言葉(赤文字)には解説も載せてあるので、東照宮の歴史をしっかりと学んで頂ければ幸いです。

 

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日光東照宮の創建前の歴史について

日光東照宮は1617年4月17日に栃木県日光市に創建されました。創建理由は家康公の遺言がきっかけです。

以心崇伝いしんすうでんという僧が書いた本光国師日記ほんこうこくしにっきには、以下のように遺言の内容が記されています。

 

「遺体は久能山に納め、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。そして、八州[3]の鎮守となろう」

出典:Wikipedia

上記の内容を簡潔に説明すると下記のようになります。

 

【遺言の要約】

遺体は静岡県の久能山に祀ってください。

一周忌が過ぎたころ、日光山に小さなお宮を建てて、私を神様として祀ってください。

そして私は関東地方の鎮守となるでしょう。

 

1616年6月1日に家康公は亡くなりました。

そして上記の遺言通りに、ご遺体はまず静岡県久能山に葬られたようです。

その後一周忌が過ぎた翌年の1617年に、家康公を日光山にお祀りしました。

そして1617年4月17日に日光東照宮の社殿が完成します。

 

当時は東照社と呼ばれており、東照宮とは呼ばれていなかったようです。

社殿完成から28年後の1645年に、宮の社号が与えられました。

そして現在のように東照宮と呼ばれるようになったのです。

 

現在でも正式名称は東照宮です。しかし他県の東照宮と区別するため、便宜上日光東照宮と呼ばれています。

 

次の項目では社名が東照社から東照宮に変更となった理由を解説します。

東照社から東照宮に変更された理由

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実は宮が付けられる神社には条件があります。東照社の場合も下記の条件に当てはまっています。

 

【宮の社号が付けられる神社の条件】

  1. 皇族と関係が深い神様を祀る場合

【例:伊勢神宮(皇族の祖先の天照大御神を祀る)】

【例:平安神宮(明治天皇と側室の昭憲皇太后を祀る)】

 

  1. 歴史上で特に重要な人物を祀る場合

【例:天満宮(菅原道真公を祀る)】

 

東照社は歴史において重要な家康公をお祀りしています。そのため、宮の社号が与えられて東照宮になったと考えられます。

 

次の項目では日光東照宮が創建されてからの歴史について解説します。

日光東照宮の創建後の歴史

1634年の9月~10月に、徳川家3代将軍の徳川家光公が日光東照宮へ参拝されました。

この時、1636年に行われる21年神忌に向けて寛永かんえい大造替だいぞうたいが始まったようです。

 

21年神忌

回忌のこと。21年神忌=21回忌。

 

寛永の大造替

1636年に行われた日光東照宮の大規模改築。

この大造替には454万人が集まったと言われている。

彫刻などの美術品を監修したのは天才絵師の狩野探幽かのうたんゆう

 

社殿が造営されたのは1636年のことです。驚くべきことに、日光東照宮は昭和から平成にかけても修理が続けられています。

 

次の項目では東照宮の修理の歴史も解説します。

日光東照宮の修理の歴史

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ここでは昭和と平成に分けて修理の歴史を簡潔にまとめています。

 

【昭和の大修理】

1950年4月

昭和の大修理開始。

1986年3月

第二期工事終了。指定建造物40棟の修理が完了する。

 

【平成の大修理】

1997年~2002年

第三期工事が開始。建造物の維持補修作業が行われる。

2003年~2006年

第四期修理(平成第一期第一次)開始。中神庫の経年修理が行われる。

 

2007年~2012年4月

第四期修理(平成第一期第二次)が行われる。拝殿、東西透堀、唐門正面、簓子塀、神輿舎、石の間が修理される。

 

2013年6月1日~2019年3月31日

第四期修理(平成第一期第三次)が行われている。本殿、石の間、拝殿、陽明門の修理が対象となっている。

 

以上で日光東照宮の創建後の歴史解説は終了です。次の項目からは家康公に関する情報を解説します。

日光東照宮にお祀りされている神様について

 

日光東照宮の神様は家康公だけではありません。

豊臣秀吉公源頼朝みなもとのよりとも公も合わせてお祀りされています。

その中でも家康公は主祭神としてお祀りされているようです。

 

主祭神

その神社の中心となる神様のこと。歴代天皇や偉人も主祭神になる場合もある。

 

家康公からは以下のようなご利益を頂けると言われています。

  • 国家安泰
  • 病気平癒
  • 心願成就
  • 安産
  • 子宝
  • 出世
  • 開運

 

秀吉公からは以下のようなご利益を頂けると言われています。

  • 立身出世
  • 勝運
  • 人間関係運向上
  • 家内安全
  • 学業成就

 

残念ながら、頼朝公から頂けるご利益の情報は見つかりませんでした。

 

次の項目では主祭神である家康公の経歴を簡単に解説します。

徳川家康公の経歴

徳川家康公は1542年12月26日に三河国岡崎城(現在の愛知県岡崎市)で誕生されました。

家康公は徳川家初代将軍として有名ですが、在職期間は1603年~1605年と短めです。

 

家康公は幼少期に大変な苦労を味わったようです。

最初は織田信秀(織田信長公の父親)の人質となり、次は今川義元よしもとの人質になりました。

1560年に義元は桶狭間の戦いで敗れてこの世を去りました。

 

その後、織田信長公と親交を深めて実力をつけていきます。

さらに豊臣秀吉公の天下統一にも協力したようです。

秀吉公が亡くなった後、1600年に起こった関ヶ原の戦いで石田三成みつなりを討ち取って見事天下統一を果たしました。

 

その後、家康公は1616年4月17日の74歳の時に駿府城(現在の静岡県静岡市)で亡くなりました。

 

次の項目では、家康公が今でも眠っている東照宮内の場所について解説します。

日光東照宮で家康公が現在も眠っている場所

家康公のご遺体は奥宮にある宝塔の下で眠っていると言われています。

宝塔は400年前から存在しますが、創建されたから中を確認したという記録はありません。

そのため、本当に家康公のご遺体があるのかは残念ながら不明です。

あくまでも伝説ですが、家康公のご遺体は神棺しんきゅうと呼ばれる棺の中に安置されていると伝わっています。

日光東照宮における奥宮の重要性

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家康公が眠るとされる奥宮の宝塔が、日光東照宮内で最も神聖な場所とされています。

あまりに神聖な場所だったため、江戸時代では奥宮の宝塔を見ることさえ不可能でした。

しかし例外的に徳川家将軍は奥宮に立ち入れたようです。

 

奥宮の宝塔が一般公開された時代

宝塔が一般公開されたのは今から53年前の1965年です。

当時に350年式年大祭という儀式が行われ、それを記念して特別に公開されました。1965年以降は一般参拝客の立ち入りが許可されています。

 

まとめ

・日光東照宮には徳川家康公がお祀りされている。

・日光東照宮の創建時代は1617年4月17日だ。

・創建の起源は家康公の遺言により、栃木県日光市に改葬されたからである。

・家康公のご遺体は日光東照宮内の、奥宮宝塔の下で眠っていると伝わっている。

 

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最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。

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