北海道江別市で縁結びの神社といえば、江別神社です。
定期的に「縁結びの会」を主催し、毎年「出会いの広場」を設けるなど、縁結びの神社として独身男女の良縁サポートを行っています。
この記事では『江別神社の御朱印・御朱印帳・お守りの種類、ご利益、歴史、交通アクセス』についてまとめています。
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目次
江別神社(江別市)の御朱印について
北海道 江別神社 御祭神には「加藤清正公」がおります(^-^)3月初めに なんとなく 気になったので ご挨拶に行きましたぁ(^-^)『江別神社 2011.06.23.』https://t.co/JxwSAlMCXG pic.twitter.com/RzhHYvDBNa
— さつき (satsuki) (@sacchannano999) 2016年5月10日
江別神社の御朱印は1種類、初穂料は300円です。
社務所でいただきますが、受付時間は通常と年末年始で異なります。
・12月31日⇒8:00~24:00
・1月1日⇒0:00~21:00
・1月2日以降⇒9:00~17:00
江別神社(江別市)の御朱印帳について
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江別神社にはオリジナルの御朱印帳はありません。
北海道限定の神道青年協議会オリジナル御朱印帳に関しても情報がありませんでした。
また、新しい情報が入り次第、更新します。
江別神社(江別市)のお守りについて
江別神社ではさまざまなお守りが販売されているようですが、お守りの名称など詳しい情報は得られませんでした。
新しい情報が入りましたら、更新させていただきますので、それまでしばしお待ちください。
江別神社(江別市)の神様のご利益について
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江別神社の御祭神は
- 天照大神
- 大国主大神
- 加藤清正公
の三柱の神様です。
それぞれのご利益は以下の通りです。
○天照大神
- ・国土安泰
- ・開運招福
- ・勝運
○大国主大神
- ・五穀豊穣
- ・漁業守護
- ・産業殖産
- ・病気平癒
- ・縁結び
- ・安産
- ・家内安全
- ・子授け
所造天下大神とも呼ばれる大国主大神は出雲大社の神様として有名です。
このことから男女の縁を結ぶ恋愛成就の神様としても、広く知られています。
この江別神社が縁結びの神社と呼ばれる所以は大国主大神をお祀りしているからです。
ちなみに、結ぶのは男女の縁だけでなく、老若男女問わず、就職の縁、ペットの出会い、人生で大きな影響を与えてくれることになる人生の師など、さまざまです。
結んでほしい縁がある際は江別神社に参拝し、大国主大神に祈願してみてはいかがでしょう。
○加藤清正公
- ・必勝
- ・能力向上
- ・仕事運
- ・開運
加藤清正公といえば、言わずと知れた戦国時代の武将でありますが、江別神社にはその加藤清正公が祀られています。
その由来は歴史で触れますが、清正公は肥後熊本藩初代藩主、豊臣秀吉の家臣であり、賤ヶ岳の七本槍の一人に数えられている武将になります。
また、縁結びの神社と呼ばれる江別神社では宮司自ら「縁結びの会」なる会を主催し、男女の縁を結ぶ「出会いの広場」を開催しています。
江別神社(江別市)の歴史について
江別神社
熊本県からの屯田兵が加藤清正を祀ったのが始まりの神社です
北海道の神社って入植者が地元の祭神を分祠して神社を造るから各社の祭神に特徴があるよね pic.twitter.com/4GIIzVOb06— supe1991 (@supe1991) 2017年2月25日
江別神社の創建は明治18年。
熊本県より北海道江別市に入植してきた人々の守護神として、加藤清正公を江別市緑町にある飛鳥山にお祀りしたのが始まりです。
明治24年には出雲大社より大国主大神を奉戴し、明治28年、現在の場所に遷座しました。
大正4年、大正天皇御即位御大典記念事業により社殿を造営します。
その際、伊勢神宮より天照大神の御分霊を戴いて主祭神としてお祀りし、三柱の神様となりました。
大正15年、郷社に昇格し、昭和59年、現社殿に造営しています。
熊本からやって来た移住者たちは心の拠り所として加藤清正公をお祀りすることで、自分たちのルートである故郷を思い、ひたむきに開拓事業に精を出す毎日だったのでしょう。
境内にはその当時に造られた火薬庫が残っているとのことです。
知・仁・勇の三徳を兼ねた名将・加藤清正公は、清正公大神祇として全国各地に祀られています。
では、加藤清正公について説明したいと思います。
加藤清正公が豊臣秀吉の家臣であることはよく知られていますが、なぜ、秀吉の家臣だったのか?
秀吉が治める近江長浜城の近くに住んでいたからという簡単な理由ではありません。
実は、清正は秀吉とは親戚の間柄だったのです。
秀吉の生母・大政所と清正の母とは従姉妹(遠縁の説あり)であったことから、わずか10歳で小姓として秀吉に仕えることになります。
これが、秀吉との初めての出会いだったかどうかは不明ですが、清正が生まれたのは現尾張国愛知郡中村。
秀吉が生まれたのも尾張国愛知郡中村郷ですが、清正と秀吉では年齢が25歳の差があり、親戚といえども、この時代では会えてなかったと判断すべきでしょう。
10歳で小姓となった清正に子どものいなかった秀吉は、我が子当然の可愛がり方をしたそう。
父を幼いころに亡くしていた清正にとっては秀吉は父親として慕う人物だったのかもしれません。
その期待に応えるべく、清正は家臣として数々の働きをしますが、加藤清正の名を全国に馳せたのは、本能寺の変の翌年に発生した賤ヶ岳の戦いではないでしょうか。
敵将・山路正国を見事討ち取ったことで「賤ヶ岳の七本槍」と称され、秀吉から3000石の所領を与えられます。
その4年後には秀吉に従い、九州を平定。
佐々成政の失政によって肥後北半国19万5000石を受領し、隈本城を改修した後、熊本城と命名。
ちなみに、熊本においての清正公は治山・治水事業、田麦の特産品化など、さまざまな事業にその手腕を発揮します。
積極的な領地経営・商業政策を行った清正公が、現在の熊本県の農業・産業の基礎をつくった人物といっても過言ではないでしょう。
清正公の墓所は熊本県熊本市・日蓮宗本妙寺(浄池廟)。
熊本県に観光旅行された際、足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。
江別神社(江別市)のアクセス方法について
江別神社の住所、アクセス方法は以下のとおりです。
(住所)
067-0071
北海道江別市萩ケ岡1-1
TEL 011-382-2201
(アクセス)
・電車の場合 江別駅より徒歩数分
まとめ
・江別神社(江別市)の御朱印は1種類、初穂料は300円。
・江別神社(江別市)の御朱印帳は不明。
・江別神社(江別市)のお守りは不明。
・江別神社(江別市)の神様のご利益は縁結び・恋愛成就・子授け・安産・家内安全・開運招福・五穀豊穣・病気平癒などである。
・江別神社(江別市)の歴史は古く、地元の人々から愛されている神社である。
・江別神社(江別市)へのアクセスは電車が便利。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます!
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