日光東照宮の中でも眠り猫はかなりの人気がある観光名所です。
 
 
今回は『日光東照宮の眠り猫の意味や由来・裏側にいる雀の意味』について詳しく深堀りしていきますね。
 
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日光東照宮の眠り猫の4つの意味と由来

メガネの女性

 

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眠り猫の意味や由来について日光東照宮公式サイトでは何も情報がありません。
 
しかしネット上やウィキペディアでは、次のように様々な説がまことしやかにささやかれています。
 
 

眠り猫は徳川家康の遺体を守っている

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一つ目の説として以下の意味が伝わっています。
 
 
眠り猫が踏ん張っている姿をしているのは、東照宮に眠る徳川家康の遺体を守るため。悪者にいつでも飛びかかれるように薄目を開けて寝たふりをしている。
 
 
実際に眠り猫が設置されているのは奥宮手前の東回廊です。
 
徳川家康の遺体は奥宮にある宝塔の下で眠っているとされています。
 
奥宮の宝塔
 
眠り猫が奥宮の手前に彫られているのは家康の遺体が眠る神聖な奥宮に、不浄なモノはネズミ一匹も通させないという由来に基づくそうです。
 
 上記の情報だと「眠り猫は薄目を開けて寝たふりをしている」そうですが、私はどうしてもぐっすり眠っているようにしか見えません(笑) 
 
しかし、2016年の数ヵ月間だけは本当に薄目を開けていたそうですよ!
 
次の項目では眠り猫が薄目を開けていた理由についてお話しします。

 

眠り猫の裏にいる雀は平和を表している

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二つ目の説として以下の意味が伝わっています。
 
裏側で雀が飛んでいても、猫が飛びかからずに眠るほど徳川幕府(江戸時代)が平和である。
 
実際に眠り猫の裏側には、下記画像のような雀の彫刻が彫られています。
 
雀の彫刻
 
猫と雀は本来は捕食する側と捕食される側です。しかし彫刻ではどちらも幸せそうに過ごしています。
 
とても平和な雰囲気を感じられる説なので、個人的にこの説は好きですね(笑)

 

眠り猫は日光を表している

眠り猫がある東回廊の入り口には下記画像の看板が立てられています。
 
 
画像の看板には「牡丹の花咲く下に日の光を浴びて子猫が転た寝しているところで日光を現わす絶妙の奥義を秘めている」と記載があります。
 
「日光を現わす絶妙の奥義を秘めている」の意味を解釈すると次のようになります。
 
ぼたんの花の下で猫がうたた寝をしている。花の上には日の光があると想像できる。つまり「日の光=日光」を絶妙に表現している。
 
 あえて日光や太陽といった言葉を使わずに、ぼたんの花と猫で日光を表現している所が凄いですよね! 
 

眠り猫は禅問答を表現している

上記で説明したように眠り猫はぼたんの花の下で眠っています。
 
ぼたんの花+猫の組み合わせから、禅問答の『牡丹花下眠猫児ぼたんかかすいびょうじ』を表現していると言う説もあります。
禅問答とは禅僧が悟りを開くために行う修行の一つです。
 
牡丹花下眠猫児とは以下のような内容です。
【牡丹花下眠猫児】
  1. ぼたんの花の下で子猫が眠っている。
  2. 子猫は人の気配を感じてすぐに逃げてしまった。
  3. 子猫は本当に眠っていたのだろうか?それとも寝たふりをしていたのだろうか?
 
眠り猫の意味には多種多様な説が存在しますが、あなたはどの説に納得できましたか?
 
もしよければ、あなたが好きな説をコメントで教えて頂けると嬉しいです!

 

日光東照宮の眠り猫の作者は左甚五郎

笑顔の女性

 

眠り猫を彫ったのは左甚五郎ひだりじんごろうと呼ばれる彫刻家だと東照宮には伝わっています。あくまでも社伝なので根拠はありません。
 
甚五郎は江戸時代初期の建築や彫刻の名工で、伝説の彫刻家とも評されていました。
 
それと、左甚五郎と言う名前は本名ではありません。本名は伊丹(または河合)利勝です。
 
「左」の由来は左利きだったとも、右手を失くして左手で仕事をしていたとも言われています。
 
また、出生地や生没年も明確に分かっていません。現在では出生地について以下の3つの説が唱えられているようです。
 
  • 播磨国(兵庫県南部)説
  • 讃岐国(香川県)説
  • 紀伊国(和歌山県から三重県)説
 
生没年や出生地が未詳なほど、甚五郎の生涯は謎に包まれています。
 
甚五郎は江戸時代の講談や歌舞伎、落語の題材にもされるほどの影響がありました。
 
そのため、伝説の彫刻家としての甚五郎には虚構の部分が多く伝わっているそうです。
 

左甚五郎は複数人が名乗っていた

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一説によると、左甚五郎という名前は複数人が名乗っていたとも言われています。
 
理由は日本全国で甚五郎が作ったとされる作品が多数見られるからです。
 
以下に一部ではありますが、甚五郎が制作に携わったとされる作品と建築物を紹介します。
 
【甚五郎が制作したとされる作品や建築物】
  1. 日光東照宮:眠り猫(栃木県)
  2. 秩父神社:子宝・子育ての寅・つなぎの龍(埼玉県)
  3. 上行寺:山門の竜(神奈川県)
  4. 淨照寺:本堂欄間(山梨県)
  5. 園城寺:閼伽井屋の龍(滋賀県)
  6. 出雲大社:八足門・蛙股の瑞獣・流水紋(島根県)
 
他にも多数ありますが、一部だけを見ても全国に存在しているのが分かります。
 
左甚五郎が一人の人物ならば、これほどの数を全国に残すことは不可能ではないでしょうか?
 
江戸時代には飛行機や車がないので、移動だけでかなりの時間と労力を必要とします。
 
有力な根拠として、左甚五郎の名前は4代目まで襲名されていたことが判明しています。
 
つまり、少なくとも過去に4人の左甚五郎が存在していたということです。
 
複数人説は完全に間違いとも言えなさそうですね…!
 

左甚五郎は1608年に眠り猫を彫った

眠り猫が彫られている東回廊は1608年の江戸時代初期に造営されました。
 
そのため、少なくとも1608年以降に彫られたと考えることができるでしょう。
 
また、東照宮には寅やウサギなど数多くの彫刻が彫られています。
 
ですが猫の彫刻は広い境内を見ても、眠り猫だけしかありません。
 
神社に眠っている猫の彫刻があるのは全国的に見ても大変珍しいそうですよ!
 

左甚五郎が眠り猫を寄贈した理由

悩む女性

 

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甚五郎が眠り猫を東照宮に寄贈した理由について、こんな話が言い伝えられています。
 
 
【眠り猫が寄贈された理由】

江戸時代の伝説の彫刻家、左甚五郎は日光へ旅に出ることにした。
 
しかし不幸なことに道に迷ってしまった。
 
幸いにも一軒の家を見つけたので助けを求めることにした。
 
家主である老婆は甚五郎の彫刻の腕に気づいた。
 
そして甚五郎に日光東照宮へ彫刻の寄贈を勧めた。
 

 

 
上記のような理由で甚五郎は眠り猫を制作したと伝わっています。あくまでも伝説なので確証はありませんが(笑)
 

眠り猫の不思議な伝説について

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寄贈した猫の彫刻は出来が良すぎて本物の猫のようになり、毎晩動いていたずらをしたとも伝えられています。
 
そこで彫刻の猫の目を閉じて眠り猫として修復したという話もあるそうです。
 
甚五郎の彫刻の腕があまりに良かったので、このような噂話が語り継がれたのでしょう。
 
不思議な伝説もあり歌舞伎などの題材にもされた左甚五郎。
 
 伝説の彫刻家の生涯は謎に包まれていますが、いつの日か判明してほしいですね! 
 
 

まとめ

・日光東照宮では電話受付に限りお守りの通販が可能である。

 

・日光東照宮の眠り猫の意味として以下の4つの説が挙げられている。

  1. 奥宮に眠る家康の遺体を守っている
  2. 平和の象徴を表している
  3. 日光を表している
  4. 禅問答の『牡丹花下眠猫児ぼたんかかすいびょうじ』を表している
 
・眠り猫の作者は左甚五郎という伝説の彫刻家である。
 
 
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最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます!
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