日光東照宮の鳴き龍の仕組みと歴史は?作者や絵の意味も詳しく解説

 

日光東照宮でもかなり有名で人気がある鳴き龍。現在でも鳴き龍を見るために多数の参拝客が訪れています。

 

鳴き龍の名前のとおり、絵の下で拍手すると不思議なことに音が響き渡るのです。

 

あなたはそんな不思議な現象が起こる仕組みをご存知ですか?

 

この記事では『日光東照宮の鳴き龍の歴史・音がなる仕組み・龍の絵の意味・作者の名前と経歴』について詳しく解説しています。

 

 鳴き龍が有名になったきっかけが偶然だったとは、本当に驚きですね(笑) 

 

また、鈴のような音がすることから鈴鳴き龍と呼ばれることもあるようです。

 

目次

龍の絵の意味は雨や水と関係している

 

鳴き龍のように神社仏閣の天井に龍が描かれるのは、以下の2つの理由があるためです。

 

  1. 龍は水を司る神様なので、神社仏閣を火災から守ってくれるから
  2. 龍は雨を自在に操れるとされるため、法の雨を降らせてくれるから

 

法の雨とは下記の意味がある仏教用語ですね。

 

仏法が衆生(しゅじょう)をあまねく慈(いつく)しみうるおすことを、雨にたとえていう語。法雨(ほうう)。

出典:デジタル大辞泉

 

鳴き龍があるのは薬師堂(仏道)なので、仏教の考えと関係していても不思議ではありませんね!

 

日光東照宮の鳴き龍の作者は狩野安信

 

 

狩野安信は江戸時代前期に活躍した狩野派の絵師です。

 

現在では鳴き龍の作者として功績を残していますが、幼少期はその才能が評価されていなかったようです。

 

安信には探幽(たんゆう)と尚信(なおのぶ)という二人の兄がいました。安信は兄たちに比べて画才が劣っていたようです。

 

特に指導を受けていた兄、探幽からはひどい扱いをうけていたと書物に記録があります。

 

安信の弟子である狩野昌運(かのうしょううん)が後に記した『昌運筆記』には、安信が探幽に嫌がらせを受けた逸話が記されています。

 

三兄弟が絵画の依頼を受けたときも、探幽は安信に筆を執らせませんでした。

 

あるとき、安信が浅草観音堂の天井に『天人・蟠龍(ばんりゅう)図』を描いた時も、探幽は「このような絵は飾るに値しない」と酷評した話が残っています。

 

安信は厳しい兄から指導を受けることで、技術の向上に務めました。

 

それから時が経ち60歳になった安信は、一部の限られた絵師しか描くことを許されない賢聖障子げんじょうのしょうじの依頼を受けました。

 

賢聖障子とは、内裏(天皇の私的区域)の母屋と北廂の境に立てられる仕切りのことです。

 

安信は見事依頼を遂行し、晴れて狩野家の筆頭絵師としての地位を築きました。

 

ちなみに、幼少期に厳しく指導された探幽とは、歳を重ねるにつれてお互いの画風の違いを認め合ったと伝わっています。

 

まとめ

・日光東照宮の鳴き龍は1961年に火災によって消失している。

 

・鳴き龍の下で音が響く仕組みはフラッターエコー現象が関係している。

 

・鳴き龍の作者は狩野安信という狩野派の画家である。

 

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