Pocket

スポンサーリンク

 

鳴女さん
この記事では以下のお悩みを持つあなたにぴったりの内容よ。

 

  • 鬼やらいの意味を知りたい
  • 追儺式が行われるようになった由来が知りたい

 

鳴女さん
そんなあなたに満足してもらえるように、このような情報をお話しするわね!

 

  • 鬼やらい(追儺式)の意味
  • 追儺式が行われるようになった由来

 

吉田神社の節分祭で行う鬼やらいの意味は何?

 

節分祭関連:鬼鎮神社の節分祭で鬼は内という理由は?超悲しい由来が関係していた?

 

鬼やらいを超簡単に説明すると「疫病を流行らせる鬼(疫鬼)を追い払ってやろう!」という行事よ。

 

あなたの周囲に、節分の豆まきのことを「鬼やらい」と呼んでいる人もいるんじゃないかしら?つまり「鬼やらい=豆まき」と言えるわね。それと、追儺式と鬼やらいは同じ意味よ。鬼やらいを行う儀式が追儺式というわけなの。

参考:日本大百科全書(ニッポニカ)

 

先ほどもお話ししたように、鬼やらいの本来の意味は疫鬼を退治することよ。では疫鬼とは何かお話しするわね。

 

疫鬼とはその名の通り、疫病を流行らせる邪悪な存在とされているの。国語辞典である『大辞林』もこのように説明しているわ。

 

疫病を流行させると考えられた悪神。疫病神。 

出典:大辞林 第三版

 

昔は科学や医療が発達していなかったから、病気や災害などの悪いことは悪霊や邪神のたたりとして恐れられていたのだわ。現在の人間からすると信じられないけど、当時は当たり前のことだったのね。

 

つまり、鬼やらい(追儺式)が行われるようになったのは「悪い鬼を退治して疫病の流行を止めよう!」という考え方が由来となっているのよ。

 

追儺式(鬼やらい)が行われるようになった由来は?

スポンサーリンク

 

本来、追儺式とは古代中国の行事だったんだって。中国から日本に伝わってきたのは、今から約1300年前(592年~710年)の飛鳥時代なのよ。

 

追儺式が伝わってきた当時は文武天皇という天皇の時代(697年~707年)でもあったわ。当時、疫病がかなり流行ったことがきっかけで行われるようになったの。

 

追儺式が伝わった当時は貴族の間で行われた行事だったけど、それから約1000年後の江戸時代(1603年~1867年)に廃止されたのだわ。

 

でも、一般市民や神社仏閣では節分の行事として伝わっていたんだって!その風習が現在、2月3日に行われる節分の豆まきの始まりとされているわ。

参考:デジタル大辞泉

 

それと驚くべきことに、飛鳥時代から鬼に扮した人を追いかけまわしていたみたいなの!

 

当時は舎人(お手伝いさんみたいな感じの人)が鬼役を行い、その鬼を貴族たちが追いかけまわしたそうよ。 鬼役を追いかけまわすとか、ほんっとうに現在と何も変わってないわよね(笑) 

 

鳴女さん
あなたは節分の豆まきのとき、鬼に扮したお父さんを追いかけまわさなかった?

実は、約1300年前と何も変わっていなかったのだわ!!

 

鳴女さん
日本は世界一歴史が長い国だから、大昔の風習が現在でも伝わっているのだわ。

行事の由来を詳しく見ていけば、長い歴史を感じることができるかもしれないわね!

 

まとめ

 

メガネっ娘その3

 

節分祭関連:防府天満宮の節分祭で行う牛替神事の由来は?菅原道真と関係があった?

 

鳴女さん
この記事では以下のことをお話ししたわ!

 

・鬼やらいの本来の意味は、疫病を流行らせる疫鬼を追い払うために行われた行事である。鬼やらいを行う行事が追儺式だ。

 

・追儺式は現在から約1300年前の文武天皇の時代(697年~707年)に、中国から伝わってきた。

 

・当時は貴族の間での行事だったが、約1000年後の江戸時代(1603年~1867年)に私たち一般庶民の間で広まった。これが現在でも行われる節分の豆まきの始まりでもある。

 

鳴女さん
それじゃ、次の記事でお会いしましょ!ばいばーい!

 

スポンサーリンク

 

お役に立ったら「いいね」を押してみんなにも教えてあげてね!
フェイスブックでは最新情報をお届けしているわよ!